世界観・人間観

今日の世界の全体の方向を考える。 

新しい世界において歴史的に新しい世界観が古代も中性も、東洋でも西洋でも生まれたことを考える。 

次にバイオテクノロジーの人間への適応が新しいフロンテアを造ることになることを考える。 

次に、人間ナショナリズムを批判し、民主主義の構成要素が大きく喪失している状況を述べる。それは、情報を持たぬ危機から始まって、ライト兄弟が、設計から完成まで飛行機を自分たちの活動の中で作ったような、おおよその自己完結で物事を成し遂げた時代が終わったこととも通じる。 

一神教についての問題意識の提唱は、人間ナショナリズム批判、至上概念批判とも連動する。 

また個人主義の萌芽ともなった、マルチンルターの万人司祭説、教会からの個人の自立に始まった、の脱組織的発想は、希少性の減少により、集団的勃起の流れに変わっていく。 

そして、外交は内政を凌駕することの説明を行う。 

人間社会が活力を生むためには、境界線を変化させること、創造的破壊をすること、フロンテアを造ること、を考える。 


新しい高齢者像を含む新しい人間観の確立。 

コペルニクス的転換をした新しい世界環境において、時代にふさわしい新しい人間の在り方を確立しなければ、新しい時代における社会の価値観、正義観、平等観などは生まれてこない。それが人間社会を引っ張る大きなエネルギーとなる。同性愛者といった存在の社会的認知、自由に恋愛を楽しむ70歳の男女が誕生すること、かれらを主人公に描く文学やファッションの誕生は、新しい人間集団の出現となろう。その社会的実在感の獲得はとイメージは、更にプラシーボ的効果によるエネルギーを該当する人たちに与える。 

境界線を変えて疑似フロンテアを造る 

行政の境界線、言語の境界線、家族や法律の境界線を変えることによって新しいフロンテアが生まれ、活力が生まれる。新しいフロンテアを造るということは、従来のフロンテアではない場所に求められる。人間そのもののフロンテア、新しい人間観によるフロンテアなどである。右脳文化という者の可能性もある。 

得だしするべきはバイオテクノロジーの人間を含む様々な生命への適応である、 

人間は、自分を変化させることによって、大きなフロンテアを獲得できるし、そのことによって人間の感受性の拡大と生存の余地は大きく広がる。 

その考え方の根底に人間は、自然の一部であり、その活動は自然の営為の一部であるとの思いがある。それは人間のみが、神に特別に作られたという、人間ナショナリズム批判を生じさせる。 

 

ロボット技術の進歩 

ロボットは、単なる人間の補助システムではなく、人間の共存共栄の役割を担うこととなる。文化を主体と考え、それを支える血液のようなものが人間だと判断すれ意気、機械やロボットが、人間と同様に文化を支える存在となるかもしれない。 

 

世界全体についての無意識の指導者の存在。 

個人が世界をリードする社会ではなく、グローバルブレイン的な、人間一人一人が、あたかも、脳細胞の一つ一つといったイメージの中で役割を持つ社会が来る。集団的勃起が生じる。 

 

それぞれの国家はその文化の輸出 

かつては富国強兵が国家意思の追及する点であった。今日においては、自国の文化を他国に強制することこそそれぞれの国家にとって国益となる。相手国の文化を自国の文化に屈服させることこそ物質的、精神的最大のメリットとなる。自国の考え方や社会のルールを相手に押し付けることを、国際社会の合法性のもとに行うことが、新しい帝国主義である。それはグローバルスタンダードを言う点で、大きな経済的、精神的な、優越的立場を造る。 

 

希少性と世界の動向 

希少性の原理により、従来非科学的とされてきたことが、再び評価される。 

数字による評価、比較といったものが、すべてに行き渡るときに、その希少性がむしろイメージによるものの評価が、希少性を持つようになる。希少性すなわち実在感を持つ。個人主義が飽和点に達すると、集団的勃起ともいえる、新しい方向性が、希少性を持ち実在感を持ってくる。 

 

多国籍企業の誕生 

また世界が、政治的に経済的に文化的に、表面上は有機化し、一体となる過程で、今日ある多国籍企業のみならず多国籍政党が生まれる。外交が内政を凌駕する世界において、国境を越えて存在するメリットを多くの政党が感じ始める。